勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議の負けなし。人生はノムさんの言うとおり
な~んか、うまくいかないなぁ・・・
この記事はそんな不安を持つあなたに用意しました。
ご訪問お待ちしておりました。おとたま(@ototama46)です。
人生、うまくいかないことの方が多いですよね。
でも、羨ましくなるほどうまくいってる人もいる。
なぜか?それは、
うまくいってる人は人知れず努力してる
人生、ココが頑張り時!って時期があります。たぶん、その時期はみんなにあり、その時期は誰もが辛いと感じているでしょう。
そこで踏ん張れるか?易きに流されるか?
あなたはどっちですか?
中1の夏休みがその後の人生を決めた
わたし自身、今の人生を決定づけた時期といっても過言ではないのが中1の夏休み。
わたしは当時、く○ん式の算数・数学をやっていた。
中学1年の夏休みで中学1年の数学教材が終わろうとしているタイミングで、く○ん式教室の先生から「この夏休みで中学教材を全部終わらせようよ!」と提案された。
中学2,3年の数学教材はそれぞれ200枚。それを2回、合計800枚やる必要がある。
夏休みは40日間。その提案を実行するためには毎日20枚の教材を終わらせなければならない。
中学1年の夏休みといえば、小学校を卒業してまだ3か月たったぐらいの時期。
そんな小学生気分がまだ残る中学1年生が夏休みに毎日20枚、約1時間の勉強をしなければならない。
でもその時、それを断ろうとは思わなかった。
なぜなら、当時、ライバルと呼べる友達がいた。何事も常に自分のちょっと先を行くやつだった。
そいつも中学1年生の夏休みで中学数学をすべて終わらせることにしていたから、わたしも一気に中学生の数学を終わらせた。
その後、中学が終わるときには高校数学も終わっていた。
だから、数学については中学も高校も学校の勉強だけで高校卒業するまでほとんど満点に近い点数が取れた。
おかげで、多くの人が苦戦する数学は学校の授業だけで十分。
そこで浮いた時間をほかの科目の勉強時間にあてることができたから、高校時代も好成績で過ごせたおかげで勉強嫌いにならず、勉強グセもついた。
そして、第1希望の国立大学に合格し、何度か転職してきたが、その甲斐あってか何とか仕事を続けられている。
学歴だけがすべてではないが、持てるものなら学歴は持っておいた方がいい。
2度の転職経験から言えることは、学歴があるだけで信用してもらえるし、採用の時、同じ能力なら学歴が上の方を選ぶということ。
ホント、中1の夏の決断・踏ん張りがその後のわたしの人生に大きな影響を与えた。
最初の仕事を辞めてからの無職2年間、だれにもお金を頼らなかった
わたしはいままでに2回転職している。それも30代と40代で。
そのうちの30代での転職は、民事再生法による会社再建策の一つとして希望退職を募集し、それに応じて辞めたが、その辞め方が無計画すぎた。
希望退職の募集期間は約2ヶ月間。
そのときの葛藤はこちらの記事に書きました。
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ホントに悩んだ。そして結局、辞めた。
締め切り直前まで悩んだので、辞めた後のことなんて何にも考えてなかった。
そこで住み続けるか地元に帰るかも決めていなかった。
同じ時期に辞めた同僚は、辞める前から海外青年協力隊に応募するために勉強を始めていたり、地元での転職活動を始めていたりと用意周到だった。
ホントに何にも考えていなかったので、思いつきで無職のままその地に住み続けた。
辞めた当初から薄々わかっていたが、無職になって1年後、結局わたしは仕事を見つけることなく実家に帰った。
実家に帰っても仕事はすぐには見つからず、無職期間が2年を迎えようとしたときに、運良く前の仕事に転職できた。
しかし、この無職の2年間、1度たりとも親にお金の心配(もらったり、借りたり)はかけなかった。というより、絶対にかけたくなかった。
わたしなりのプライド。
国立大学の大学院まで行かせてもらい、就職してそれなりに暮らせていたのに、自分の中の違和感に耐えられず辞めたから。
大人になり自分の人生の後始末は自分でつけたかったから。
もちろん、会社都合で辞めたので失業手当が満額(約16万円/月)で半年あり、辞める直前に400万円の貯金もあった。
それでも2年間の無職期間が終わるとき、手元には10万円しか残ってなかった。
ギリギリだったが、仕事を辞めても自分の人生は自分で何とかできた。
わたしはこの無職の時期に絶対に親を頼りたくなかった。自分の力で切り抜けたかった。
この時期に簡単に親を頼っていたら、今でも心のどこかで親への依存が残っていたかもしれないし、どこか自分の人生への後ろめたさもあっただろう。
また、人生の選択において自分の意志だけで決められない何かに縛られる気がしていた。
この無職の期間さえも自分の力(お金)で切り抜けられたことが、大人として自分の人生への責任を果たしてきたと思えるし、人生の選択は自分で決められる権利を最大限行使できる人生を手に入れることができたと、今は感じている。
40歳で公務員試験に挑戦
2度目の転職を考えたときのことはこちらの記事に書きました。
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リストラとも言える異動を受け約2年ぐらい経ったとき、ふと将来に不安を感じた。
1度目の転職の時もどうにかなるといった楽観的なわたしが、仕事で一緒になった顧客の50代後半の方を見て将来が不安だった。
そのときの感情は今でも鮮明に覚えている。
このオッサンみたいには俺はならない!
そこで一念発起して、約1年間試験勉強に取り組み、今は公務員として働いている。
当時の職場環境や家庭環境も運が良かった。
社員はみんな車通勤で現場作業がメインだったので職場の飲み会なんてほとんどなかったから、無駄な時間は費やさなかった。
早朝出勤や残業もあったが、通勤時間などいろいろ工夫して勉強時間を確保した。
仕事がある平日は毎日、夜10時からの1時間を勉強時間にした。
子どももいなかったことから、勉強を始めてから週末は基本、勉強に充てた。1年間は旅行や趣味など、いろいろと辛抱した。
休日は朝6時~8時の2時間は絶対、勉強時間とし昼から夕方に書けての2時間も確保するようにした。
とにかくメリハリのある生活習慣を心がけ、勉強時間を確保した。
奥さんもいろいろと協力してくれた。
40歳での受験勉強だったが、学生時代に身につけた勉強グセのおかげで乗り切り、合格できた。
この勉強グセも、中1夏のく○ん式のおかげで勉強嫌いにならなかったからである。
公務員として働くことができることで仕事も安定したから、体調が優れなかった奥さんは仕事を辞めることができ、その後の奥さんの復調で子供もできた。
仕事が安定したおかげで家を建てることもできた。
勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議の負けなし
家庭をもち、子供を持ち、家を建てることが必ずしも幸せではないかもしれない。
しかし、わたしは今、お金も時間も心も豊かに暮らせており、心から幸せだと感じている。
お金はたくさんあるわけではないが、家族4人がふつうに暮らしていくには十分な給料はもらっている。
小さいながらも十分な家と庭、子育ても刺激がたくさんで今、その刺激から新しいことを始めた。
今回、100記事目を迎えて自分の人生を振り返ると、ターニングポイントがあり、そこで自分が踏ん張れた、頑張れたからこそ今があるとつくづく感じる。
わたしは10代、30代、40代で人知れず努力してきたし、人生は努力すれば何歳からでもリスタートできると子供に伝えたい。
勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし。努力は必ずしも報われるとは限らないが、報われた人は必ずどこかで人知れず努力をしている。
負けるには負けたなりの理由があるんです。
人生がうまくいかない人は、うまくいってる人をうらやむ前に自分は努力したのか振り返ってみて欲しい。
自分は胸を張れるだけの努力をしてきたか?
努力したつもりになっていないか?
今からでも遅くない!胸を張れるだけの努力をしてみないか?
以上、よろしくお願い申し上げます。
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